先日、パチスロの話をしている人たちがいて「今月は○円負けたよ!」「ここ数年、勝てないなー」「昔は楽で良かったなー」なんて言葉を耳にしました。
昔は楽で良かった?
かれこれ20年近くパチンコ屋と共に過ごしてきた僕ですが、昔はなにが楽で良かったのか分かりません。
楽に勝てた時代なんてあったの?僕が知らないだけ?
昨年に久しぶりにハイエナ稼働に復帰してボロ負けして辞めて、このまま一生打たないかもしれませんが、昔の思い出をココに記録しておきます。
僕とスロット
僕はわりと早い頃からパチンコ屋に通うようになった。
きっかけは羽根モノのタイムサービスの存在を知ったから。
例えば12時に球を持った状態で台をとっていれば、一回大当たりをおまけしてくれるサービス。
つまり、500円をいれて球を買っておけば、2R100発 /7R300発/15R700個くらいの球が当たる。等価で1球4円※球数は適当
当時の台はマジカペとかだったかな?
台にもよるけど、2Rは打ち切りで7Rと15Rは即換金or貯玉。
パチンコは勝てるものだと認識した。
もう少しあとだった気もするけど、羽根モノだとアクアパラダイスは2鳴きで絶対大当たりに入れられたのが懐かしい。入れるってより磁石に吸わせるか。
レレレのスペシャルゾーンは1/2で大当たり入れられたり。
パチンコ屋に入り浸っていると当然ながら、次はスロットに出会う。
やり方がよく分からなかったので、詳しそうな人に聞いた。
教えてもらった方法は、ひたすら来店ポイントを貯めることだった。
来店すると1日に1ポイント溜められて、雨の日に来店すれば2ポイント溜まる。
ポイントが貯まれば景品にも変えられるが、100ポイントで特定の台の設定5or6を打てる権利を得られるというサービスもあった。
打てるのはたしか初代HANABIかドン2かサンダーVだった記憶がある。
羽根モノとは違う店で結構遠かったけど、頑張って通った。
必死に貯めたポイントで初めて打ったスロットはドン2の設定5だった。
この機種は技術介入度がそこそこ高くて、ビッグを普通に打っても獲得できるのは400枚前後だと思うけど、練習してれば500枚近くとれた。
それまでにゲーセンで複合14枚役を取るのをひたすら練習してたから、そこそこ出た。
この初打ちを経て、パチスロは設定が入ってれば勝てると知る。
100日ちかく通ってもパチスロを打たないでポイントだけ貯めたれたのは、行くたびに「3台だけでいいから前日のデータを取り続けろ」と教わったから。
ビッグ、バケ、総回転数から枚数を推測して、差枚数を予想する。
そうすると見えてくる。ほとんどの日が差枚数-だということが。
たまに+の日があって、その日はイベントの日だったりすることが多かったから、おそらく設定が入っていたものだと推測できる。
逆にいえば設定が入っていなければ勝てないものなのだと納得できた。
今にして思えば、僕の場合は本当に出会い方が良かったのだと思う。
卒業すると、さらにパチスロにのめり込む。
世はパチスロ全盛期。
昔話になるとみんなミリオンゴッドのことばっかり話すけど、一番すごかったのはコンチ4Xだからね?
コンチで4.5万枚なんて、人さえいる店だったらどこでも出ていたのではないだろうか?※等価で1枚20円:5万枚で100万円
この頃の出玉はたしかに異常で、僕が聞いたことがあるなかで一番は水道橋のみと○でアラジンで9万枚。
僕の最高は猛獣王で2万枚越え。7枚交換の乗り打ちだけど。
ちょうどサミーのコピー打法が流行ったりもした。
前の出目がもう一度だせるという打法。
つまり、契機役を引けば永遠に引き続けるということ。※記憶違いだったらごめん。
僕がこの方法を知った時はコピー打法禁止のテプラが貼ってあるくらいでまだやれたんだけど、隠れてやるのが難しくてなかなかうまくいかなかった。
一週間後くらいにはサミーの対象台が全て停止してた。
サミーの開発の人が意図的に仕込んではないかという噂。
パチスロを打つ店はだいたい決まっていて、まず7のつく日は川崎か綱島のタイ○ー7一択。
ここは関東中、もしくは全国から人が集まっていたのではなかろうか?
- 鉄板=設定6
- 大穴=設定1or6
みたいな数種類の札が朝から刺されているので、朝一から設定がわかる。
しかも入場は抽選だから、いい番号が引けなければ帰るだけ。
7のつく日は絶対に行っていた店だ。
他の日は、新宿の某七枚交換の店に並んでいたりもした。
前の日の閉店時間から並ぶ。オープンは10時だから、11時間くらい待つ。
そうすることで6台中1台6が入っている台を取れる。
だいたい乗り打ち。
一人ではいけない。最低でも2.3人は欲しい。
というのも、他の台の挙動を見れなければならないから。
どの台が6かわからないと続けることもやめることもできない。
そんなわけで設定看破が比較的簡単な猛獣王とか打ってた。
6を引いたやつが終日打ち続けで配分が多いルールだったんだけど、自分は引かないことを願ってた。
何せ眠い。
普段は並びで入れたんだけど、ある朝いきなり抽選が始まって暴動が起きたのはいい思い出。当時僕は眠すぎてラッキーとかいう謎の思考回路だった。
あと、印象深いのは上野。
今はだいぶ無くなったけど、当時バイクが趣味だった僕は上野にはバイクショップがいっぱいあったからちょこちょこ行ってた。
微妙な店がおおくて、パチンコ屋が多い割にはあまり打ちにいきたくない街だったんだけど、湯島側の某大手チェーンだけは最高だった。
2台に1台くらいの割合で前日のアラチャンを残してたんだよね。
狙っている人も全然いなかったから、たまに行ってた。
アラチャン閉店の台が無ければ打てないけど。
他にも面白いイベントは結構あった。
印象に残っているのは時間限定でAタイプで大当たりを引くとチケットがもらえて、そのチケットを集めると抽選が引けて当たると設定5.6が打てるってサービス。
まだMAX711のAタイプがあったから、投資しても大量獲得機を打てる可能性があるのは良かった。
抽選に通れば不二子2とか打ってた気がする。
もう少し時がたつと、ひたすら「でちゃう」を追いかけた。
合言葉は「はい、でちゃう」
でちゃうっていうパチンコ雑誌が主催のイベントを提携した店舗が各地でやってて、店にもよるけど200台中70台4.5.6で設定発表ありとかで結構熱かった。
関東に限らず、だいぶ遠くまで追いかけて行った。
でちゃうガールと呼ばれる女の子も良かった。
ハイエナを視野にいれ出したのはどれくらいだろうか?
猛獣王とかも夕方の設定発表とかでパチンコ屋に行って、たまたまいい台を見つけたりしたら天井も狙っていた。
ただ、この頃はまだ朝一は設定狙いが主だったように思う。
初代吉宗あたりになると結構積極的にモード狙いとか天井狙いとかしてたかも。
出始めてしばらくはリセットかけない店がそこそこあったから、吉宗の前日ボーナス中や天国中閉店狙いをしてた。
もっと思い出せば色々とあるけど、パッと浮かんだだけでも言えるのは、「パチスロで勝つのに楽な時なんて無かった」ってこと。
昔はイベントや設定発表があったから、高設定台に座りやすいってのはあったかもしれないけど、そんな優良店は当然すぐに大量の人が押し寄せる。
その結果、長時間の並びが必要だったり抽選が厳しくなったりする。
1日で勝てる額はたしかにかわったかもしれないけど、勝つためには今も昔もやることは変わらない。足を使うか頭を使うか時間を使うか。
それこそ僕は足と時間はすごく使っていた。月の移動距離と並びの時間はハイエナの比ではないと思う。
やり方はたくさんあるだろうけど、いくら環境に恵まれようがなんだろうがどれかは絶対に必要。
適当に打ちたい台を打って勝ち続けられるほど、パチスロは簡単ではない。
「昔は良かった?」
今、勝てない人が、昔なら勝てるとはとても思えないし、少なくとも楽だった時代を僕は知らない。
あっ!僕は使えなかったから分からないけど、ひょっとしたら「頭を使えれば」簡単なのかもしれない!